貰ったカタログギフトの品定めをした
カタログギフトとは、商品が多数収録された
カタログの中から好きなものを選んで注文することで
品物が送られてくるという形式のギフトである
これが、結構な曲者で
頂いておきながら曲者というのも申し訳ないことだが
その性質上、カタログ上でそれぞれの品が
優劣がつかないように並列されて掲載されている
つまり商品を提示する側は、努めて正解がないように作っているわけで
その中からどれが一番欲しいかということを
自分の欲だけを頼りに決断しなければならないのだ
これに正解するのはかなりむずかしい
どれを選んでも同じくらい良いものなわけだから
魅力が同等だとした場合、商品Aより商品Bの方がほしいという
決定的な根拠を論理的に説明するのはなかなか困難なことだ
人によっては簡単と感じるのだろうが
更に、カタログギフトの恐ろしい点としては
品物のバリエーションがとんでもなく豊富にあるということだ
食べ物ひとつとっても、菓子類から肉、魚、加工品、飲料等
かなりの広範囲をカバーしており、食品以外にも
食器や日用品といった雑貨、観劇とかのチケット類まである
まあ、自分に全く縁のない品物も多くあるとはいえ
その中からひとつの商品に決めるということは
残りのすべての商品を、いらないと突っぱねるのと同義であり
強い意思が必要になる ある程度割り切って、自分の欲を決めつけていかなければならない
じつは今回のカタログギフトの選定は相当もたもたやっており
年末頃からカタログをぱらっと見ては
「無理だ、決められない」
と思って先送りにしていたのだが
注文の期限というものが存在するので、やけくそでもなんでも
早いとこ決めなければならなくなったというわけなのです
まず、ぱらぱらと見て
ハムとかソーセージみたいなものがうまそうに見えたので
他の選択肢は思い切って除外することにした
いま食べたいのはハムとかなのだ、ということを
繰り返し考えていると、所謂「ハムの口になる」という現象が起き
それが正解であると錯覚することができる。
こうなると決定は多少楽になってくる
ハムだっていろいろ載っている。日本ハム、丸大、プリマハム、伊藤ハム等々
ベーコン、焼き豚、ウインナー、生ハムといったものがセットになってたりして
もちろんどれも同じくらいうまそうである
そうなると、あんまりその辺のスーパーで売ってなさそうだな、とか
自分が食べるタイミングとして、朝食のお供にするのか、間食で食べてしまうのか
あれこれ条件を模索し、自分にとってのかけがえのなさを
シミュレーションすることで、ベストハムが見えてくる
だんだんばかばかしくなってきて、最終的には振り払うように決めてしまった
時間は深夜になっていた
アフターケアとして、 「その辺で売ってそう」という理由で除外したハムは
近日中にその辺のスーパーで実際に似たものを調達することで
カタログギフトで頼まずとも手に入った、つまり選ばなくてよかった
という確信を深め、より正解の確度を高めるということもできる
実際にそこまでするかは別として、そういう手段があるということを
意識することで、選択肢を絞るというのは有効なテクニックだった
まったく大変なことだよ
ついでに白状すると、過去に頂いたカタログギフトで
どうしても決定出来ず、期限を過ぎてしまったことが一度だけある
非常に悲しく、こんな思いは二度としたくないと思いました
くれた人に申し訳ないし
そのカタログは戒めとして本棚にずっと保管してある
今回のはどうしよう
ぱらぱら見てるだけでちょっと胸焼けのような感覚に襲われる
この冊子を、選定が済んだからといってホイと捨ててしまっていいのか
「これが手に入る可能性があった」という、「もしも」の本。
見てるとなんか切なくなってくる
選定という格闘によって、自分にとってちょっと特別な存在感が発生し始めた
冊子の処遇に悩まされる
やっぱり曲者と言わざるを得ない