十年以上前のことだが
日が暮れた18時か19時ぐらい、繁華街を少し外れた道を
友人と歩いていたら、居酒屋かスナックのような店があった
女性の演歌歌手に関連する店のようで、本人が経営しているのか
その実家なのかは、わからないが
「〇〇(人名)の店」というような文言と、着物姿の女性の写真が
ライトボックス型の看板に配されてぼんやり光っていた
写真は、もともと耐候性が低いものだったのか
風雨や湿気、太陽光やライトボックス自体の光など
過酷な環境に晒され、かなり傷んでおり
その演歌歌手の顔が、世にもおぞましいものに変化していた
不気味の谷という現象がある
人を模した造作物を、人間に似せていく過程で
一定レベルに精度が高まると、急に不気味に見えてくるというものだ
「人間にそっくりな、でも人間でないことがわかる」というものに
本能的な恐怖を感じるのだとしたら、その看板は
人間だったものが経年劣化によってわずかに人間味を失ったことで
偶然、不気味の谷に踏み込んでいる、ともいえるものだった
それを見た友人ともども、ひっと声を上げてしまうほどだった
恐ろしくて、足早にそこを去った
しばらくして、同じ場所を通ったとき
看板はきれいなものに掛け替えられていた
まあそれはそうだろうなと思う反面
思わず目を背けるような恐ろしい看板が、ある時期
道端に掛かっていたということ
もうそれを確認する術はないということを
時々思い出して、怖かったということだけを覚えている悪夢の
ディテールを思い出そうとするのに似ているななどと思ったりもした
ふと、そのことを久しぶりに思い出して
ひょっとして、当時携帯電話のカメラで写真撮ったりしてないかなと
思って、古い画像ファイルを見返してみた
撮影した記憶もないから、無いだろうなと思ってたけど
まあ無かったわけだが
昔撮った写真を見ていたら、公園遊具の写真があった
同じ頃に中央線沿線を線路に沿って歩いていたときに見つけたもので
小さな公園にぽつんとある、へんな顔の恐竜の遊具だった
一回通り過ぎたけど、あまりにへんな顔だったのでUターンして
写真を撮ったことを今でも覚えている
これが、どこの公園だったか
「あのへん」「こんな曲がり角」といった断片的な記憶はあるので
すぐにわかるだろうと思ったが
Googleの地図と照らし合わせてもなかなか判明しない
丁度、中央線沿線が高架化される前後の時期で
新たに道が出来ていたりもするようだし
もしかして、公園がリニューアルされていたり、なくなってしまっていたり
してるかもしれないなと思いながらも調べ続ける
歩きながら写真を撮っていたので、恐竜の前後に撮った写真のなかで
場所が特定できるものがあれば、それを撮影した時間もデータとして残っている
チェックポイントが残っているので、おおよそどの辺を歩いていたかの見当はつく
もう無い建物や看板なんかの写真も多く、特定に難儀したが
少しずつ絞り込んでいき、30分前に居た地点と、30分後に居た地点がわかった
地図から公園を見つけることは最後までできなかったが
およその地名が特定できたので、地名と恐竜の遊具という情報を頼りに
インターネット検索をかけることで、ようやく場所の特定に至った
公園も遊具もまだ現存しているようだった
見つからなかった理由としては、記憶していたよりも公園は広いもので
記憶の印象と地図上の表記とが一致せず、逆に見落としたようだ
ここまできてようやく、記憶の芋づるが現代と接続された
古い記憶が少しだけ確かなものになった実感がある
たいして関係ないはずの怖い看板も、わずかに実体感を増した感じする