数日間旅行に行って、帰ってきた
なぜかわからないが、全体的に寂しい気分がうっすらと漂ってた
他の場所に行ったときでも、寂しい気分になる場所は時々あるけど
その成分が多かったかんじがする
その土地にずっと住んでる人、引っ越して行く人、来る人
でかけていく人、帰ってくる人などがいて
そういう人たちが味わう郷土への気持ちみたいなものを
勝手に空想して架空の寂しさにぼんやり共鳴してしまうような
まったくもって勝手な話だが
BGMとしてかかっていたローカルソングや
昼の時報に流れるオルゴールや
宿の廊下に脈絡なく貼りまくられたポスターの積層の具合
真新しい建物、今建築中の建物、それを建てる人
修理されてる建物、されてない建物
一日になん往復もするバスや船
何故か大抵そういう気分の薄い膜がかかっていた
絶景を見てる時だけはそれを忘れる
家に帰ってくると、それらと切り離されて日常に戻るが
リアルな夢を見たような、具体的な記憶の手応えと寂しさの残りがまだある
なんか呆然としてしまうな。
旅先でみた怖い夢
怖い小説を読んでいる
道の両脇にちらほら個人商店の並ぶエリアの端っこにある店
色あせた装飾テントはあるが看板らしきものはなく、なんの店かはわからない
廃屋のようにすら見える
磨りガラスの戸は閉まっているが、知人と二人で中の様子を伺うと
薄暗いものの中の電気は二つ三つついている
おばあさんが出てくる
青いプラスチックのザルみたいなヘルメット風の帽子をかぶっている
もう店は営業していないのだという
カステラ風蒸しケーキも無いよ、と言われる
(前に来たことがあり、そのときにリクエストしたのだったということを思い出す)
町の方にある店に行け、と言われる
別な日
なにこれ珍百景で件の店が取り上げられる
レポーターが左に急に曲がるコンクリート舗装の急坂を
這いつくばるようにして登ると先程も見たぼろい店の前に出る
おばあさんは、先日とは違うアルミ缶やアルミ製のたらいを
むりやりプレスして半球形に固めたようなヘルメットを目深に被っている
店内では、私と知人がくつろいでいる
ポテトチップスを皿にあけたものや、おばあさんの手作りの落雁らしき菓子などを
薄暗い店内でぱくぱく食べながら、ここは本当にいい店ですねと言い合う
別なおばあさんの客が、小鯵を買いに来る
小鯵と表記のある、ぼろぼろに汚れたダンボールの空き箱を
店のおばあさんから受け取り、帰っていく
夕方、店先で近所の人たちが立ち話をしている
「けんいち君はこっちまでは来ない」と言っている
商店街の反対側の端の方に、けんいち君という者がいる
「グオー」とか「ウオー」というような唸り声が遠くから聞こえ
それがけんいち君のものであるらしい
話を聞くうち、けんいち君は生身の人間ではないらしいことがわかってくる
おばあさんがいうには
恐怖というのは、もなかの入った箱についつい手を伸ばして
食べているうち、いつの間にか腹の中身、体中が
あんこに置き換わってしまうのと同じような感じで
体に入り込んでくるものなのだという
何故かぞっとする妙な説得力がある
というような怖い小説の一篇を読み終わる
なんだか最後の最後で急に怖い小説っぽくなったな、と思う
日が落ちたどこかの石段に座って読んでいたのだが
ふと顔をあげると、階段の下にある3メートルくらいの高さの二本のコニファーの間に
人がしゃがんでいて、一瞬ぎょっとするが、 それは知人(小説の知人とは別人)で
こんなとこで何してんの、と訊かれたので
暗がりでしゃがんで怖い本を読んでいたんだよ、と答える
二人で田んぼの中の道を歩いていると、後ろから追いかけてくる人がいることに気づく
見ると、その人の顔は妙に低画質の画像が貼り付いたような顔をしている
それは、怖い小説の中の挿絵と同じものだった