いらなくなった段ボール箱を片付けているとき
段ボールに、箱が出荷されたときのラベルが貼ってあるのを見つけた
こういうのは、基本的に捨てずに剥がし、ノートに集めることにしている
理由はあるようなないようなことだが
たまたまこの箱が家にやってきて出会い、捨てられていくという流れの中で
その証拠物件を手元に残しておこうというような気分によるものです
「記念」と言い換えても良い
こんな段ボールが家にしばらくあったという事実が、捨てることによって
証拠がなくなってしまうばかりか、自分だってそんなことは忘れてしまう
捨てるという行動について考えると、どんなにいらないものでも
それが取り返しのつかないことであることを思い、寂しくなってくるもので
破片を取っておくことで、それを緩和する効果がある。
普通なら残り得ないそういうものが残っているのが単純に楽しいということもあり
食べ物のパッケージその他、いろいろなものを収集するのが習慣なのである
ラベルを剥がした
シールが段ボールとしっかりくっついていたので、糊を生かして剥がすのは諦めて
段ボールの表面ごとべりーっと剥がしてしまった
ラベルの裏面には剥がれたクラフト紙がへばりついたまま残った
段ボールのいくつかの面にも他のラベルがあったので、計4枚を剥がした
最初の一枚以外は、まあまあきれいに剥がすことができた
その後段ボール箱を平たく解体し、紙ゴミ置き場に運んだ
で、剥がしたラベルを取りに戻ったら、最初に剥がしたラベルが一枚消えていた
あれ、と思って
剥いだあと何処に置いたかな、机にぽんと置いたはずだが、どう見ても3枚しかない
何の変哲もない白地のラベルだったはずだが
しばらくきょろきょろしたが見つからないので、
おかしいなと思いながらも3枚のラベルだけをノートに貼ることにした
夜
寝る前にもう一度机をチェックした
ないはずはないのに、ないものはないんだよな、と思って見ながら
剥がすのがうまくいかずに段ボールの表面が一緒に剥がれたことを思い出した
白い紙に、茶色い紙がへばりついている、というビジョンが頭に浮かぶ
白い長方形の紙を探していたところに、茶色のイメージが付加されたとき
急に机の上にあった茶色い棒が目に留まった
剥がしたラベルが、茶色い面を表に丸まっており
筒状になっていたのだった
びっくりした
忽然と消えてしまったと思っていた机の上に
堂々と置かれていた丸まったラベルに今の今まで気が付かなかった
探しものの形が少し違ってただけで、こんなにも見えなくなるもんなのか
仮に筒にしか見えていなかったとして、筒の存在すらも認知してなかった
自分をうたがってしまうね
目に見えるものがすべてと思っていても
目に見えるものをすべて脳が受け取っているとも限らない
それにしたってこんなに鮮やかに取りこぼすもんなのか
それとも私が間抜けなだけなのか
とりあえず、ラベルはノートにしっかり貼り
横に「一度消えたラベル 2021 5/15」とメモしておいた
これでもう消えたり現れたりすることはないと思うと
なぞの達成感、満足感がわいてくる
結果的にいいページになったので満足です