言葉の意味を知らなかった頃に知った言葉
幼い子供の頃は、身の回りの日本語や外来語の意味がわからないまま
音や文字列として、言葉に触れることになる
ものによっては、意味が分からないまま聞き慣れるものもある
そういう時期にすり込まれた言葉には、妙な魅力がある


「パーキングエリア」と「サービスエリア」
小さい頃、親の運転する車で高速道路をはしっているとき、しばしば寄った
英語でそれらが何を意味するのかは正確には知らなかったが
パーキングがしょぼい方、サービスエリアがでかい方だということは
わかっていたから、「バーキング」「サービス」という言葉に
なんらかの序列があるように思っていた

それぞれの言葉の意味がわかるようになってからも
「parking」、「service」という英語が持つ意味とは別に
それら二つが結びつけられたかつての刷り込みによる独特の手応えが
未だに強烈に残っている


時期は覚えていないがとても小さい頃
「日本」と「東京」のどちらが大きいのかわからなかったという
こともうっすら覚えている
さすがにその後すぐに関係性は覚えたとは思うが
土地の大きさ、東京や日本の広さを体感として理解するのは
もっとずっとあとになってからのことだった


「古墳」
幼い頃住んでいた場所は古墳が身近にあったので、古墳という言葉は
耳になじんでいたが、それが何なのかを学ぶのは小学校の社会科の授業だった
意味と知識を伴った「古墳」の言葉と教科書で再会したときは
なつかしい言葉の肌触りと新鮮な具体性が嬉しかった



歯ごたえだけを楽しんでいたガムに急に味が追加されたような
わーっと思うけど
しばらくすると歯ごたえだけを純粋に楽しんでいたときの
感覚を、味のするガムのなかに見いだして懐かしい気持ちになったりする

そういう行き来のできる言葉は、人それぞれあるのかもしれないが
それほど膨大にあるもんでもない
考えてみれば貴重なものだ
大事に味わいたい