ミニチュア信号機のガチャポンを買った
ガチャポンを買うと表現するのが正しいのか微妙な違和感があるが
百円玉を投入してガチャポンマシンのレバーを回し、ミニチュアの信号機を得た

ミニチュアの信号機である
驚くべきことに、日本信号株式会社が協力して作られた製品で
車両用、歩行者用信号に加え、歩行者用押ボタンまでもが
精巧なミニチュアモデルになっている
しかも光る

これは今年の春先に発売となったもので、そのときも欲しかったのだが
大人気だったらしくどこも品切れで売っていなかった
しばらく忘れていたが、今日たまたま見かけたので
最近大規模に再生産されたのかもしれない


しかしよくできている
信号機そのものが欲しいと思ったことは一度や二度ではないが
景色の一部をせめてミニチュアとして手元に持っていたいという気分が
それも東京タワーだの奈良の大仏だのではなく、自動車や電車でもなく
日本中ありふれた景色に埋没する部品であるところの信号機というものを
手元に持って喜ぶという感覚が、潜在的に多くの人の心にあるということが
こういう品を生み出しているわけで、しかも人気商品であったというから
うれしくなってしまうな



百円玉が足りなかったので、お札を両替した
そのときに両替機の下に百円玉を一枚落としてしまい
完全に奥深くに飲み込まれてしまった
がんばって覗き込んだが見つからず、諦めざるを得なかった
こんな純粋な損をしたのはいつぶりだ。

金を落とすというのは損のなかでもかなりシンプルな部類だと思うが
こんなシンプルな損、それに伴う悲しさは近頃めっきり味わっていなかった
極めて純度の高いうれしくなさだが、珍しいことなのでここはあえて日記に書いておこう
珍しいことを日記に書けたということが純粋な損と悲しみを少し薄めてくれる





久しぶりに日が暮れてからの町の空気を吸った
勤めに出ていた人々が帰ってくる、ベッドタウンの駅前で
コンビニとスーパー、少し歩くとファミレスやドラッグストアがある
人通りも車通りもさほどひしめくでもなく、かといって途切れることもない
こういう場所の夜の空気を吸うのはひさしぶりだ
具体的にいつのどこを思い出すでもないのに、なんか胸がいっぱいになった

ここから五分くらい自転車に乗って家に帰ってみたいと思った
そんなところに家ないのにな

夜の郊外の空気の味はいろいろあるが、心をつかまれることが多い
前にも友人の運転する車で環八だか環七を走っていたときの空気や
鎌倉から家に帰るときの道沿いの空気に
はっとしたことを思い出す
早い話が郷愁の一種だと思うが





電話について
番号を入力すると、その番号に対応した機械の元へ
電波となった人間の声がリアルタイムで届く
考えてみるととてつもないことだな

線でつながっている固定電話はまだ感覚的にはわかる
携帯電話はどうだ、空中を人間の声が形を変えた何らかの情報が飛んできて
機械がキャッチしてそれをまた音声として再生してくれる
しかも時差を感じさせる間もなくである
考えれば考えるほど不思議な技術だ

年に一度くらいこのことを考えてしまう