散歩をしていたら、道端の低木が目に留まった
まだ冬枯れのままで、その木の葉は一枚もついていなかったが
隣にある大きな木から落ちた枯れ葉が
奇跡的に枝の上に落ち、絶妙のバランスで乗っかっていた
何気ない景色であった
少し進むと、民家の植木の周辺でうぐいすが鳴いていた
それと時を同じくして、少し離れた幹線道路をパトカーかなにかが
サイレンをがんがん鳴らして走る音が聞こえた
その二つの音が同時に混じり合って聞こえていたが
全体としてはなんてことない春の昼下がりの感じになっていた
それで、あれっと思って
枝葉が織りなす絶妙に偶然起こった出来事や、うぐいすとサイレンのまるっきり
とんちんかんな組み合わせも、少しも不自然なものではなかった
少しは驚きや不協和音を感じてもよさそうなものだが
たとえば漫画の背景に、枯れ枝にどこかから飛んできた葉っぱが一枚
やじろべえのように乗っかっている様が描かれていたり
映画のワンシーンでうぐいすの声とサイレンが
静かな道で鳴っていたら、とても不自然な、奇妙さを感じると思うのだが
現実にはそれはなんてことないものとしてスルーされているのだ
現実のなんてことない景色の中のひとつひとつ見ていくと
春の穏やかな昼下がりと何の関係もないパーツがうじゃうじゃ居る
だからといってそれらが春らしさを損なっているふうでもない
雑音なのだろうな
人間は雑音をうまいこと避けてものを聞いたり過ごしたりすることができる
うぐいすや桜の花なんかを見ていたら、サイレンの音なんて気にならなくなるし
そうなると枯れ枝は雑景とでもいうのだろうか
注目する必要のない景色の構成要員ひとつひとつを見ていくと
さりげなくどうでもいい決定的瞬間は頻繁に起こっているのかもしれない
べつにそういうものを見落とさないようにしようというわけではないが
そもそも全てを見落とさないようにすることなど不可能であるし不毛なことだが
ふとしたときに意識のピントをずらしてみると、そこらじゅうに
雑なものがうごめいているのを見つけて変な気分になれるという
それくらいは
逆にいえば、自分がものを見たり描いたりするときに無意識に取捨選択している
それら有象無象の雑なものの存在は、なるべく思うようにしていたい