旅先で考えていたカメラについてのこと


カメラが自分の感受性や記憶を肩代わりしてくれるという
側面があるような気がしていた
観光地に行って、写真を撮っている人をよく見かけるし、おれもよく撮る
気軽に高精細な写真が撮れる機器であるところのデジカメ
あるいは今時は携帯電話にも同等なカメラ機能が備わっていたりする
目で見るよりも確実に思い出を残せるような感じがして

それによって脳の記憶力や感受性が退化するという気もしないではない
一回限りの景色の体験を、何度でも見れる情報として保存するために
一回限りの景色の体験の時間を割いて撮影する
それによって景色を実際に見ることがおろそかになるのではないかという

旅行に行ってカメラを使うとき、そのことを考えることが時々あったのだが



脳とカメラではそもそも請け負う領域が微妙に異なる

たとえば脳は、無数の石ころの数や配置、壁のしみの形状を鮮明に覚えたりはしないが
写真はそれをそっくり写し取ることができるし
写真には、その景色を目の当たりにしたときの感動までもそっくり保管する
性能はない。プロの写真家はそういうことをやってのけるのかもしれんが
写真が記録するのは本質的には図像の写し取りであるから

それぞれに得意な領域があるから、使い分ければよい
撮影、録音や録画、メモやスケッチ、自分の脳味噌を使い分けて
うまく体験をとらえることで、限りある旅行の時間のなかでより有効に味わうことができる
その配分は人それぞれにあるだろう

写真に撮っても写らないような、目で実際に見ることでしか味わえない絶景もあれば
写真に撮っておくことで将来に渡り何度でも噛みしめることのできる良さもある
何度でも聴きたい音があるかもしれないし、呼び起こされた感覚を文字にしておけば
あとで写真と組み合わせて思い起こすことができるかもしれない情報もあるし
いろいろな残し方がある
そのバランスを好きにしたらよい。しかしそこに選択肢があるのだということを
心の片隅においておきたい




ところで旅先で撮った新種の壁穴の写真をアップロードしました
撮ってアップロードしそびれてたものもあわせて6種類あったので
ページ上の「photo」のリンクを押して見てみてください
左上から左に順に六枚が新しいやつです