小学校の教科書で「新しい国語」とか「新しい算数」といったような
「新しい」が頭につくやつを見たことがある

新しさがどういう種類のものなのかはともかくとして
古いよりは新しいほうが小学生にとっては感じがいいのかもしれない
勉強なんていうのは小学生にしてみたらそもそも面白くなりづらいものだと思うが
「新しい」といわれると、

もしかしたら、今までのものとは違って面白いのかもしれないぞ

という気持ちになるかもしれない
挿絵が現代的だったり、表記が現代的であったり、親しみやすいものかもわからん
子供にとって何かしら有益な改良があるように感じられる



いま調べてみたら、「新編 新しい国語」というのが出てきた
新しいもののそのまた新編なのか
こうなってくると、なんだか新しさの押し売りのようで
必死になるところが怪しい という気にもなってくるというものだ
と一瞬思ったがそうでもないかもしれない






教科書というと、配られたてのときの匂いをいまでも鮮明に思い出せる
あの紙質、教科書以外のふつうの本ではあまり出会わない紙な気がする

匂いといえば
小学生のときに母が買ってきてくれた五冊パックになったノートの
紙の匂いが銀杏のようなへんな臭さがあるものだった
パックのやつはビニールで密封されてるから買って開けないと匂いはわからないものだが
残念な気持ちになった。有名メーカーのものではなかったので、子供ながらに
得体のしれないメーカーの品は信用ならないなと思った

ノートの匂いは勉強の意欲に関わるから重要なことだ
そのノートと同時期にやってた算数ドリルまで悪印象が波及して
なんとなくネガティブな記憶としてセットで蘇ってくる


いま思えば銀杏臭いノートなんて珍しいから、今なら面白がって使えるかもしれない
と一瞬思ったがそうでもないかもしれない