「寂れている」という言葉があるが
ついつい「錆びれている」と思い浮かべてしまって
さびれた町並み というと、金属部分の各所が錆びまくった町並みを
想像してしまうが、実際には寂しい感じになった町ということだな
でも寂しい感じの町というのはえてして錆びが出ていたりするもんだから
間違ってはいるけどかけ離れたものではないかもしれない
そのせいで「寂れている」にいつまでも「錆び」のイメージがつきまとう
「寂れたシャッター街」なんていうと
古びたシャッターというのは、錆びたりしているもんですから
どうやったって白っぽいシャッターに赤茶色の錆が浮いたようなものを想起させる
こんな日記を書くと、ただでさえぼんやりごっちゃにしていた要素が
より脳内で強固に結びつくような気さえする
果たして錆と関係のない寂れ方というのは存在するのだろうか
そんな寂れ方は無いように思えてならない