新しく靴下を買った。昨日のことだが
昨年末に見つけた、最高に履き心地のいい靴下で
指先が足袋のようにふた手にわかれているやつが
取扱店で30パーセントオフになっていたので、あるだけ買ってきた
あるだけといっても、四足しか残っていなかった
あって損のないものだ

足袋の形のやつあまり見かけないから人気ないのかな
五本指のタイプのほうがまだ需要があるようで、ラインナップが多彩な傾向がある
足袋定番化してくれると助かるのだが



しかしこういうのは、すぐれたものが生き残っているということが
多いから、世間一般的にはふつうにつるっとしたフォルムの靴下か
五本指のほうがすぐれているという判断がなされているのだろう

どういう面ですぐれているのかは
機能か、生産性か価格か。いろいろな尺度があるし、どういう判定かはわからない
足袋型がポピュラーになりきれないにも何らかの要因がきっとある



そういえば、小学校に上がったばかりの頃のことだったと思うが
おれは勉強に鉛筆を使う理由がよくわからなかった

それまでずっとボールペンを使って字や線を書いていたので、学校にあがって
鉛筆を使うとなったときに、鉛筆は削らなければならないし
粉が手について汚れたりするからボールペンに劣る道具だと思っていた
ボールペンならば、鉛筆より黒々としっかりして安定したシャープな線が書ける
消せないことは欠点としてあるが、間違えなければいいし、間違えたとしても
バツをつけたり塗りつぶすなどすればいいだろうと考え、たいした問題ではないと思った

しかしいつの間にか疑問には思わなくなっていった
勉学においては多くの場合で鉛筆が適しているという判断がされているのは納得がいく
(ボールペンはボールペンで勉強向けだなと思うところもなくはないがそれはさておき)
さまざまな要件から、適した用具が選ばれていることがわかる

きっと江戸時代くらいには墨をすって筆で勉強していたことだろうから
そこからいろいろ検討があって鉛筆を使うようになっていっただろう


慣例となっていて誰も疑問に思わないような事柄も、 試行錯誤があったかもしれない

たとえば歯を磨くということも
動物は歯をみがいたりはしませんから、人間がいつの段階でか
歯を磨くと虫歯にならなくて良い、ということに気づいたのだろう
そんな新たな習慣面倒くさいし、今までも無しでやってきたわけだから磨かなくていいよと
いう人も多数いたことだろうが、磨く派が増え、そのメリットが周知され
市民権を得てそれが常識になっていったはずだ

慣例として定着しているものは、なんにしても定着に至るプロセスがある


自分を取り巻いているそういった日常疑問に思わない慣例も
あらためて見直すとなるべくしてなった価値が見えてきて、大事にしようと思える
靴下に関しては、慣例を見つめなおしたことによって慣例のその先にある自分との適正、
足袋の形をした靴下に出会うことができた。そういう自分だけの慣例については
なおのこと大事にしようと思える