テレビを見ていたら、出てきた人が
「きしくも◯◯~」
という言葉遣いをしていて、はて、と思って
似た言葉で「くしくも」という言い回しは耳にするし
「奇しくも」という文字列もしばしば目にする
「きしくも」という音を聞いて、まっさきに「奇しくも」を思い浮かべた
「奇しくも」という言葉を「きしくも」と読むのだとすると
「くしくも」は一体漢字でどう書くのだろうか
などと一瞬頭がこんがらがったのだが
正しくは、「奇しくも」で「くしくも」と読むのであり
テレビの人が誤用していただけということであるらしい
そうなのか、と納得するが、引っかかるところがあるので、考えを続けてみると
おれの頭の中に、文字列としての「奇しくも」と、音として「くしくも」があり
「奇しくも」の読み方を知らず、「くしくも」の漢字での表記を知らず
それが同一の語として結びついていなかったことでどうやら混乱が起きていた
読み方がわからなくとも、文章は読めてしまうものだ
「奇」という文字の意味からしても、文章に「奇しくも」が出てきたときに
「奇妙な、偶然にも」という意味合いを読み取ることがわりとすんなりできる
知らない漢字の読み方が気になって調べることもよくあるが
「奇」自体は難しい漢字ではないし、発音はわからずとも
意味がするりと取れてしまったことで流してしまっていたのだろうな
逆に話し言葉で「くしくも」というと
「皮肉にも、」という意味合いが付随する場合がわりとあるように思う
調べてみたが、「くしくも」にとくにそういう意味はないようです
それでも、「奇しくも」と「くしくも」は似たような言葉ではあるという認識は
あったように思うから、確信はないがつながりは感じていたかもしれない
「奇」という漢字で「く」と読む事例も相当珍しいだろうからな
学校でも習った記憶がないし、「奇しくも」を声で読み上げたことも多分ない
それで「きしくも」という音を聞いたとき
「あれ、奇しくもってきしくもって読むのか?あまり耳にしないが」という
強い違和感を覚えつつも納得しそうになるということが起きた
たしかそういうことが前にもあった。思い出した
「宍道湖」と「しんじこ」だ
「宍道湖」という文字列が文中に出てきても、読めなくて、まあ湖かと思って
とくに読み方を気にせず、また会話で「しんじこ」と出てきても
またそれはそれで、しんじ湖ね、なんていう認識でしかなかった
それが結びつくのは、テレビで読み上げながらテロップか看板が写るとか
そういうときで、二つの情報が磁石でくっつくように、はっとしたことがあった
たとえば「ししどこ」だの「しどうこ」だのといった誤った読み方をされて
それを周囲の人が聞き流してたりなんかしたら、今日のように混乱したのだろうな
たんに読み方を知らない漢字というだけではなく、読み方の方は読み方のほうで
認知していて、言葉として別々に認識してたものが一体化する
神経衰弱をやっているような気持ちに少しなる