物心つくかつかないか頃の記憶だが
家の近くの坂を下りきったところにモービル石油のスタンドがあった
そこの壁にに白地に赤いマークの看板が掲げられていたのだが
おれはそれをずっとバッタのマークだと思っていた(図右)
赤いバッタの看板があるスタンドという認識だけがあったのだが
ある時、ふと看板を見るとそれは紛れも無くペガサスだった(図左)
バッタの看板がペガサスに切り替わったのか、とその時は思ったものの
店の佇まいや看板の経年劣化の感じから見ても、昨日今日取り替えられた形跡はない
狐につままれたような、あのバッタはどこに消えたのだろうと不思議だった
その時は、似ても似つかぬペガサスとバッタ、見間違えるはずはないと思ったが
いま改めて気になって調べてみると
遠目にはバッタのフォルムに見えないこともないように思えて
見ればみるほど、どう見間違えたのかが蘇り、なるほどという気持ちが出る
バッタと思っていたものが急にペガサスにしか見えなくなる
そういうことがある
前者、あるいは後者が錯覚や思い違い、見間違いであることに気付かず
両方が入れ替わったのだと信じて疑わない
何も気付かずに、昨日はバッタがいたけど今日はペガサスしかいないんだなと
思ってしまう、そういう現象のことを考える
今日見たものもいろいろあったが全てが正しくそれとして感知できていただろうか
明日見慣れたものがまったく違うものに見えてびっくりするかもしれない
そのときに過去に見慣れていたはずのものがすっと退場する感じ
しかし赤いバッタの存在感は妙に幻想的でいまも謎の生気を保っている