イベリコ豚、という単語を耳にし
イベリコとは何だ、と思って調べてみたところ
「イベリア半島の」という意味であることがわかった。
つまりスペイン産の品種。どんぐりを食って育つらしい
そうなのか、とくに普通の豚肉とイベリコ豚肉の差異について意識して
食べたことがないので、どんぐりの効能などはよくわからないが
ネーミングとしては「松阪牛」の「松坂」と同じ理屈の言葉だった

オマール海老  というやつもいる
それはつまりオマール地方で獲れる海老のことなのかな、と思ったら
オマールというのはフランス語でロブスターのことだという

「ロブスター」というと豪快にまるごと蒸した感じを想起させるが
「オマール海老」というと洒落たタレがかかって野菜が添えられたような
料理を思い浮かべる。
単にアメリカ料理とフランス料理の印象の差かもしれないが




動物を「一匹」とか「一頭」とか数えるが、簡単に考えるとでかさで分けられてる
ような気がするが、小さい犬は一匹だし、でかいやつは一頭かな
中ぐらいの犬はどうだ、匹かな、使い分けの境界は微妙なところだ
曖昧な表現だなと思うが使っていて特に混乱もない
どっちでもいいからか

しかし数え方の種類は本当に膨大にある
全部「一個」と数えるようにすればいいんじゃないの、とも思うのだが
「一台」「一本」「一体」似たような数え方だがそれぞれ印象が微妙に違ってる
普段何気なく使い分けているが、「一個」と「一台」では大きさや重さが
違うのだということをぼんやり表現することができる
「一台の、」と言われた瞬間、ある程度の重さがある機械を想像するし
「一枚の、」と言われたら薄っぺらいものなんだなというのが頭にぱっと浮かぶ

こういう数え方の言葉を「助数詞」というらしい
日本語は助数詞が特に発達した言語だという、たしかに不必要なほどに膨大な
助数詞がある。なくても困らないような表現もあるんじゃないかと思うが
「一軒」と「一戸」は統一してもいい、とかありそうなもんだが。
また、逆に新たな助数詞つくってもばれない気もしてくる
亀一匹のことを「一亀」と言う、と言われてもちょっとありそうに思える
このように助数詞が無数にあれば
「筆箱に三ペンと一鋏入っている」とか
「池には生き物が四亀と七鴨いました。」というような表現が可能になる

しかし、もし名詞の数だけ助数詞があるとなると、もはや助数詞の不思議さはない
ぼんやりとものの特性を示す言葉だからこそ、とらえどころのない気配
数える数値にぼんやり物質感がついてくる味わい深さがある