比較的近所にあるスーパーマーケットに、でかい忍者の形の機械がある
それはポップコーンを作って売る自動販売機で、一定の間隔で
音声を発するもので、その音の大きさと唐突具合にびくっとすることがあった
「ぼく、じゃじゃ丸、僕の中から美味しいポップコーンがたくさん作れるよ」
「ポップコーンを食べると、元気もりもり、おいしいじゃじゃ丸ポップコーンだよ」
だいたいこんなふうな言葉を数分間隔くらいで発声している
昨日そのスーパーマーケットに買い物に行ったのだが
張り紙が忍者に貼り付けてあり、そこには「中止」とでかく書かれていた
忍者は無言だった
しかしその機械でポップコーン買ってる者をおれは見たことがない
もちろんおれも買ったことはない
忍者からポップコーンが出てくるのを待っているというのも妙なものだし
忍びのくせに、晒し者になっているような気分になるような
しかし中止といわれると、買っておけばよかったという後悔も少しある
二度と再開することがないような悲しい予感がある
音声といえば、ある時肉屋でかかっていた歌のことがずっと気になっている
聞き取れない箇所もあったが
「おいしいお肉は沖縄豚肉、安心お肉は沖縄豚肉」
「スタミナたっぷり嬉しいなー、沖縄豚肉婆さんお肉」
というような歌だったと思う、聞き違いがあるかもしれない(婆さんでない可能性が高い)
小気味よいリズムで女性の声が歌っている。
沖縄の豚肉をPRする歌なのかな、謎。気になってグーグルで検索をしてみても
それらしい情報がでてこないのでいまだに正体がわからない歌だ
沖縄地方のコマーシャルソングだろうか
日常目にしたり耳にしたりするような創作物は、多くはなんらかの形で
情報化されていて、インターネットを使うと調べたり正体を突き止めたりすることが
できるようだが、情報網から漏れたものもまた多くあることに気付く
なんでもデータで調べられる世の中で、そういうものはすごく儚いものに感じてしまう
アーカイブに残らないもの、検索にかからないもの
そういうものは調べようとしても出てこないから、時にはなから存在しない
ほとんど実体のなかった物のように感じてしまうときがあるが
それはあまりに記録、検索の力を過信しすぎているようだ
インターネット上の情報は極めて膨大だがその外に取りこぼした情報も膨大にある
じゃじゃ丸ポップコーンについて検索すると、何色か色違いの忍者がいることがわかった