近年は記録をよくとるようになった
写真もよくとるが、もらったパンフレットや食べたものの情報をためる
家計簿もつける、見た夢の記述、思ったことや出来事を日記にかく
それ以外のことの一部を絵にかいたりなにか作ったりする
記録をつけるようにすると、あとから見返すことができるので
そのときのことを確かに思い出すことができる
なんもないより、多く思い出せているように感じるが
逆に、記憶なんてこんなもんなのか、とかんじさせることがある
過去の透明度があがるぶん、底がみえやすくなっているということなのか
記録が充実すると、逆にあんまり脳みそで覚える必要なくなってしまうのか
わからないが、記録がなくても底なしになんでも芋づる式に思い出せるようだった記憶も
最近はそうでもないようにかんじられるときある
記録には限界がある
この世で起こっているすべてを記録しておくことはできない、もちろん記憶も。
手当たり次第に記録をすることで、絶対に手が届かない世界の大部分の
情報、取りこぼした情報のことをかんがえて、記憶の限界をつよく
かんじてしまうのかな、わからないが
こうしている瞬間にも自分の知らない出来事が増え続けてるようにおもえる
テレビだけでも、同時にいくつものチャンネルが新しい番組をやってる
見たことのないテレビ番組は毎日ふえて溜まっていってる
本もいっぱい出版されていくし
人も新しく誕生して人口はふえているという
宇宙も膨張しているというはなしだ
身の回りの記録をとることが、なにか悪あがきをしてるような気分なることある
それでも観察することはなかなかおもしろくてやめることができない