家で作業をしていたら、ピンポンがなったので出てみると、宗教の関連の
人間が二人玄関に居た
ひとりは前回と同じ人だった
前回というのがいつだったかおぼえていないが、およそ一ヶ月ほど前だったとおもう
読み物の小冊子をくれるというので、もらったのだった
おれが冊子を受け取ったものだから、読んでみてどうでしたか、ということを
聞きにきたのだという。想像するに、もらっても読む人あんまり少ない気がするから
おれの家がけっこう辺鄙なところにあることも相まって、彼らが暑いなか不毛な路程を
たどっていることを想像し、せつない気持ちになった
おれは、偶然にも完読していたので、せっかくだから感想を述べることにした
冊子の概要はこういうものだった
生命の起源がどこにあるのだろうか、という話が終始繰り広げられる
大概のひとは、ダーウィンの進化論をはじめとする科学的な見地に基づいた
理論を信じているとおもわれるが、じつはこの世界の生き物は神様が
じきじきにデザインし創造したものであるかもしれませんよ
その根拠は云々。。。
というもので、その思想の賛否はともかくとしてそれなりに面白く読んだ
自然界にあるものの形状というのは、非常に合理的なつくりをしているし
太陽と地球の距離や地軸の傾きは四季をつくり生き物に良い環境をうみだす
あらゆる面で、具合の良すぎるこの世界の環境は
非常に知恵のある何者かが生み出したのではないでしょうか、という
。。。
おれは機能美というものをとてもきにしてる
環境や条件や要請は、ものの最もシンプルで合理的な形態をつくるとおもう
それは進化のような時間のスケールのでかい話だけではなく、動植物が
その環境や条件の応じて必要な能力を会得したり、適したおおきさに育ったり
人間が、あついところや寒いところで生きる知恵を身につけて、その生活の熟練度を
あげていくようなものがある
それは、原始的な道具が洗練された機能的な道具に進歩していくのにも通ずる
そうしてつみかさねた結果、機能美というもんが発生してきてる
進化と進歩を地続き、ほぼ同一種類のものと考える
進化はそう目に見えるもんではないが、進歩はしばしば目にする
そういう見方で考えると、あらゆるものを神が作ったという考え方よりは
原始的なものが環境に応じて形態をつくりだしていったような考え方のほうが
しっくりくる
条件に即して出来たものたちであるから、完璧に都合が良いのは当然なことで
神にからめて言うなれば、環境や条件のことを神と言い換えられるのではないか
そういう考え方ならできるきがする
というようなことを言った
おれがずっとしゃべっていたようなきがする
せっかくはるばる感想聞きにきた人に誠意ある回答がしたかったのか
それか単純にあまり人が訪ねてこないので、嬉しかったのかもしれない
結局なんの宗教なのかはわからずじまいだった