距離や空間の広さの単位が大きいと感じた
これはおれが関東にずっと住んでいるからかもしれないし
たまたま行った場所が車中心の生活スタイルだったのかも
しれないが、だだっぴろいのであった
移動距離2時間や3時間という話が頻繁にでてくる
人家と人家の間がとても広い場所があり全体に閑散としている
おもに過疎によるものと見られる
要素がすくなく、まばらであると個々のものについて見えてくる
ものであるが、はたして高知のある集落の人家もそうだった
建物は経年で劣化もするし、人は出て行ったり転居してきたり
流動するものだが
家があった形跡のある土地や、廃屋になりたての家や
腐ってくずれかけたような家、残骸など。またはきちんと整地
された土地や建築中の家もときどきあった
町の状態の変化が容易に見られるように思えた。
めまぐるしくないので、ふだん目を凝らさないとわからないものが
あっさり目に飛び込んできたりする、イイナーとおもいました
スローライフという言葉をどっかで聞いたのをふと思い出す
ご先祖の墓掃除に行った
小学生のときにも来たことがあって、そのときは山の斜面をだいぶ
のぼったところにあったと記憶していたが、かなり下のほうにあった
最近になって、近い場所に移したのだという
この地域ではかつて土葬があったため、当時の遺骨を回収し
墓を移したときに一緒に納めたという
専門業者(?)の手際は見事だったらしく、指の骨一本まで厳密に
回収し、火葬しなおしてからつぼにつめられたというが、おれは
それよりも、人間の骨が地中で何十年(あるいは百年以上)埋まって
いて、それで指の骨一本一本まで残っているということに驚いた
墓石には江戸時代の元号が刻まれている箇所もあり、なんとも
不思議な気分になったりもした
海についてもそうだけど、時間の経過や積み重ねのことについて
あちこちで目をむけさせられるところがあった
数年ぶりに行った場所の、変わらないところと変わったところを
いくつも見たということもあってか、過去の歴史の積層についてや
家がくずれて土にもどっていくところや
サンゴや貝殻が砂にかわっていくところも
自然と注視していたのだとおもう
振り返って文章にかいてみると、そのことばかり考えてた
だからけっこう写真をよくとりました
ところでデジカメが画面端にいくほどぼやけるという故障が起きた
修理にだすべきかとも思うが、いまの世の中ふるいものを修理する
より新しいのを買うほうが得な場合が多くあるから悲しい
しかもいま携帯電話のカメラのほうが画質いいのだからな、、、、
テクノロジーの進歩もとても早くめまぐるしいものに感じる