空鼻

朝起きて、コーヒーの粉がなくなっていたので新しいやつを開封して

淹れたコーヒーを飲もうとしたら、昨晩飲んでいたコーヒーが

カップにまだ少しだけ残っていたので

きんきんに冷えた残コーヒーをかっと飲んでしまい

横着してそこに新しい熱いコーヒーを入れて続けざまに飲んだところ

冷えた古い銘柄の残り香と、あたらしい奴の複合によって

正体不明のなつかしい風味が発生した 

 

少なくともコーヒーの懐かしさではない

たとえるなら、どこかの建物の中の匂いか

なにか特定の商品のパッケージを開けた瞬間の匂いのような工業製品系。 

過去に何度もかいだことのある匂いであるのは間違いない

しかもちょっと遠い記憶だ 

 

そういうなつかしさの破片が、なんか成分の組み合わせで偶然生成されて

すっと記憶に割り込んできた 

 

空耳ならぬ、空鼻といえるかもしれない 

それとも空舌かな?

 

 

なんだろうなんだろうと味わっていたら、カップのコーヒーを飲みきって

しまったので、もう一杯入れたところ、あたらしいコーヒーに完全に上書きされて

微妙なバランスで成り立っていたなつかしい風味は消えてしまった


正体がつかめないままであるから

どんな匂いだったかも、みるみる脳から抜け落ちていく

いまではどんななつかしさだったのかもすっかり忘れてしまった

 

夢を覚えてられなかったときの目覚めもこんなかんじだ

ちょっと寝ぼけていたのかという気すらしてくる 

2026

初夢に該当するのがいつの夢なのかは諸説あるが

一般的には1日に寝て2日に起きるまでに見た夢であるらしい

今年もゆく年くる年を見て、年が変わってから寝たので

厳密にいえば2026年になって最初に見た夢は1日に起きるまでに

見たものということにはなる

今年はどっちも覚えていたので書き残しておく

 

 

◎12月31日~1月1日

目の部分がカニの形になったサングラス(片目に一匹ずつ、計二匹の赤い蟹が居る)を

友人が持っている、という情報を又聞きする。 

それに関心を示したところ、あなたが感じる蟹の魅力はどちらですか、という

2択のアンケートを提示されたのだが

どちらの選択肢もピンとこなかったので(内容は忘れた)

そのどちらでもない蟹の魅力について説明することになった

 

蟹は、甲殻類であり、でかい虫みたいなものなのに

海の中にいるおかげなのか、虫ほどは嫌悪感を持つ人が少ない感じがする

その不思議さこそが魅力である、というような説明。

 

 

◎1月1日~1月2日 

ビルの1階から6階あたりまで、図書館だか書店だかになった施設が

最近オープンしたんだか、近日中にオープンになるんだかで

それの中を見学する

1階から順番に見ていくが、5階にさしかかったところで

運営上のトラブルだかなんだかで、電気が消えてしまい

最上階を残してそのまま見学は終了になってしまう 

NTTドコモのなんかの会員になっている人だけは

特別に見学が続行できるという

 

 

 

 

2日と3日は、例年通り箱根駅伝を見た

年に一度の視聴で育まれる土地鑑(と呼んでいいのか)を大切にしているので

今年の分を積み重ねることができてよかった

 

中継車のカメラが切り替わったり、コマーシャルが挟まったりもするし

自分自身が席を外したり、居眠りしたりもするので

路程としては不完全な歯抜けの記憶になるんだけど、それもまたよし

いつか自動車なり自転車なり、なんでもいいけど

実際の路程を味わう機会が訪れたとき、自分の中に蓄積された土地鑑と

どれほど齟齬があるかを想像するだけでもおもしろい 

 

これが終わると正月も終わりという気分になる

今年もよろしくお願いします 

みそか

明日は大晦日であり、本日は30日なので晦日である

昔の記憶だが、カレンダーの表記で12月30日のところに「みそか」

31日のところに「大みそか」と書いてあったので

クリスマスイブとクリスマスみたいなもんかと思っていた

 

そのことを思い出して家にあるカレンダーをいくつか見てみたが

大晦日の記載はあるが、「晦日」に関しては載っていなかった



「晦日」は厳密には月の末日のことであるようだから、つまり毎月ある。

昔見たそのカレンダーは、毎月「みそか」と書いてあったんだったか

正確には覚えていないが、 「みそか、大みそか」の並びが発生する12月になって

初めてそれらを認識し、「12月の30日がみそかで、翌日の31日が大みそか」と

記憶したので、12月限定と思い込んでしまったのだ

その段階では11月以前のカレンダーは剥がして捨てている筈だから

「みそか」が毎月あることを確認することもできなかった、という訳である。

 

しかし、実際に12月にだけ「みそか」「大みそか」の表記があり

当時ある程度確信を持って12月限定だと記憶したという可能性もある

もう確かめようはない 

 

あるいは、たまたま今年家にあったカレンダーに

「みそか」「大みそか」が載っていなかっただけで、世間一般からすると

「みそかとは12月30日のことで、その翌日が大みそか」。なにを当たり前のことを

という感じである可能性だって、ゼロではない

などと考えていると、よくわからなくなってくる 

 

 

10日は「とおか」、20日が「はつか」の延長線で、30日が「みそか」であると

考えていいものなのだろうか、そうするとだいぶ見え方が変わってくるが 

やはりどうしても「みそか」は年末限定の言葉のような

気がしてしまうな。長年の刷り込みかもしれません 

 

 

ついでに言えば、当時は「大みそか」は「大味噌日」であると思っていたし

大味噌日が終わって元旦がやってくると、味噌樽を金づちで割って

大豆を計量する木の枡で、中に入っている酒を飲むのだと

うっすらイメージが連結していた

 

これだって、事実である可能性はゼロではない 

なぜなら、事実無根であるといい切れる知識も無いのである 

生る/ストーブとの別れ

実がなる、というときに使う「なる」について

漢字で書くと「生る」であるが、いまいちぴんとこない

もっと適切な漢字があったのに思い出せないような 

更にいえば、 意味合いとしては生えるだから、まあ「生る」でいいか。というような

あとから「そういうことにした」当て字のようにも思える

漢字というシステムの中の、詰めの甘さのようなものを感じてしまう

実際のところはわからないし、由緒ある使い方なのかもしれないが。

 

ついでにもうひとつ思い出した

「地面」をひらがなで書くと「じめん」だが

「地」は「ち」であるから、それが濁った表現であるとするならば

「ぢめん」とするのが正しいのではないかと

数年に一度くらい思い出しては、そのたびに妙だなと考えてしまう

これは屁理屈だろうか

 

 

 

今日は、大掃除というには小掃除、掃除ですらないかもしれないけど

どうしても部屋の収納に限界がきたので、とってあったものを捨てた

長年使っていて、壊れたでかい石油ストーブ。

 

以前部屋の断熱がしっかりしていない、広い部屋で使用していたもので

寒い冬にはだいぶ世話になり、長らく冬の定番アイテムだったものだが 

壊れてしまい、また小さいファンヒーターで済むようにもなったため

修理することもなく(修理対応期限も切れていたかもしれない)

かといって風物詩を捨てるにしのびなく、押し入れの奥に入れ込んであった

何年くらいしまってあったっけね


この度、保管が必要な書類箱を置くスペースがどうしても必要になり

先送りにしていた処分をしぶしぶ断行するに至った

悲しいが、どうにもならない純然たる不用品でもあるから止むを得ない。

 

ストーブの外装には、注意書きや型番なんかが書かれたステッカーが

いくつか貼ってあったから、ドライヤーであたためながら綺麗に剥がし

ノートに貼りなおした。最後に写真も撮った。 

ストーブがあった場所に掃除機をかけ、書類の箱をきっちり収めた

 

 

人生には別れはつきものなのである

「さよならだけが人生だ」 といった言葉もあるが

縁あって自分のもとへやってきて、時間を共にした品々との別れに際し

そこにどう折り合いをつけるか、それだけが人生であるという 

確かにそう思えてしまうくらい、ものを捨てるのはつらい

でも、このくらいつらくあるべきだとも思う

 

また、そうであるからこそ

デジタルデータのような、軽薄な存在に救われるということもある

こうやって日記を書くことで、物理的な別れは電子情報になる

壊れたストーブは日記に姿を変え、インターネット空間に漂うことになった

 

大掃除というのは到底困難な大事業なのである

大都会の電信柱

昨晩、布団乾燥機でほかほかにした布団に入ると案の定すぐに寝てしまい

なんの日記を書くべきだったのかを考える暇はなかったのだった

 

見た夢も、断片的だった

物忘れを防ぐ真鍮の金具だったか、記憶をそこに保存できるんだったか

とにかく脳に関与する機能を持つ、真鍮の金具が登場したことだけは覚えているが

前後の出来事は無かったか、覚えていない

目が覚めたときの体感として、 そこそこ長く寝た感じがあったから

関連するなんらかの夢をたっぷり見て、さっぱり忘れてしまったんじゃないかと思う

 

 

 


ラジオから流れてきた歌で、「大都会」という歌詞が出てきた

大都会か……

「大都市」は聞くけど、「大都会」は最近めっきり聞かない言葉だな

 

大都市という言葉からは、人口が多くて鉄道網が発達して、といったような

ハードウェアとして巨大な市街地が想像されるが、大都会というと

ネオンがきらびやかだったり、若者が憧れる文化と商業の中心地というような

もうちょっとソフト面での華やかさをもった場所、というような印象になる

 

大都市に吹く風は、ビル風とか、風速で表せる風を思い浮かべるが

大都会に吹く風は、薄汚い排気ガスにまみれた風って感じする

似たような言葉だが、そこに情緒の有無があるように思える

 

 

ほかにもなんかそういうのあるかなと考えたら

「電柱」と「電信柱」がそうかもしれない

あれは厳密な意味で言えば、電柱は電力柱といって、電気を送るためのもので

電信柱は電話線のために設置されているものという、用途の違いによるものなんだけど

「電柱」というと、無機物、設置物、物体としての電柱を思い浮かべるし

「電信柱」というと、もうちょっと情景を伴った印象になる気がする。

あとちょっと昔感もある



「大都市の電柱」と

「大都会の電信柱」を

交互に思い浮かべると、そこには漂う風情の違いがたしかにあり

似たような言葉がもつフィルターの違いを、ガムを噛むように味わえる

いかがですか

漫画情報

楽園(ル パラディ)冬のウェブ増刊にて

12月19日分で描いた漫画が公開されています。

無料ですので見てみて下さい  

行き方:下記URLを押す→WEB増刊へGOと書かれた箇所を押す(中段画面左)→12月19日のところを押す→漫画登場。 

 http://www.hakusensha.co.jp/rakuen/

 



何か日記に該当することも書こうかと思ったけど

考えているうちに布団乾燥機の運転が完了し布団が温まってしまったので

今日のところはお知らせだけして、布団の中で何を書くべきであったか

考えながら寝ることにします 

AIについて

最近になって、対話できるAIを利用した。

AIがはやっていたり、ニュースの音声をAIが作った自動音声でやっていたり

AIによるあれこれを目にする機会はあったし、意識せず触れることは

今までも頻繁にあったのだろうが

思うところがあり、文章を打ち込むとそれらしい回答を

してくれる対話型のAIと接触することになった

 

 

自分が専門的な知識を持っていることを試しに投げかけると

知ったかぶったような返答をするので一瞬で不信感がつのるが

きちんと教えるとすぐに気持ちよく訂正する、軽快な機械らしい挙動をする 

でもしばらく会話した後、話を戻すとまた忘れていたりするので

これはどういう了見だいと訊ねてみると、対話型AIが持つ技術的な限界について

教えてくれたりもする

 

コールセンターとかでたらい回しにする時用の

実のない回答をするマシンくらいに思っていたから

なかなか進歩してるんだなと思った

 

 

AIとやりとりしていると、こちらも誤解をされないよう、

日本語としてはっきりとした無駄のないテキストを送るよう心がけるので

自分の発するテキストもなんだかAIの出力する文章に寄っていく

友人の訛や口癖が伝染るようでもあるし、赤ん坊に語りかけるときに

赤ちゃん言葉になってしまうのにも似ているかもしれない

 

 

ふと思い立ち、このホームページを構成するhtmlについて

長年不便に思っていた箇所の解決方法を訊いてみると

軽快にすらすらと策を提示してくれた

まあ専門家から見たら怪しいことも言ってるのかなと思いつつも

指示通りに試行錯誤すると、比較的あっさりと解決した 

 

具体的には、スマートフォンでホームページを表示したときに適切な寸法で

表示するための構成がよくわからず、放置していたのだが

現在、かつてよりはましな表示になっている筈で、それはAIの補佐によるものである

スマートフォンにもいろいろあるだろうから、全部が全部改善してるかというと

だめなのもあるかもしれないけど

 

その他、運用する上での細かい面倒な仕様もすこし改善できた。

はじめてインターネット検索で欲しい情報に瞬時にアクセスしたときや 

機械翻訳のツールで外国語が不自由なく読めるようになったときの

技術革新のありがたみに近いものを味わった 

 

 

働きに対してお礼を言ったり褒めたりすると、いっちょまえに謙遜したり

心のある人間のように振る舞ったりするが

そうかと思って追及してみると自分が魂のない存在であり、人間を補佐するための

プログラムでしかないことをわきまえた返答をしたりする。

魚や虫に魂があるのかないのか、さすがにAIよりはあるんじゃないかと思うが

じゃあ、長年大切に使われた道具には魂があるのではないか、とか

そよ風には魂があるように思える、などと考えていくと、AIには

どの程度の気持ちで接したらいいか、まだはかりかねるところではある 

 

世の中がAIのない状態に戻ることはまあ無いであろうから

今後どのような付き合いに発展していくのか、興味深い。

興味深いかな?

本当に興味深いと思っているのならもっと早い段階でAIを試しに使ってみただろうに

最新のよくわからないものと思ってさほど関心を向けず、今までぼんやりしてたからな

しかし今回の接触により、多少考えが変わったのは事実だ

この日記を読み込ませたら、はたしてどんな返答をするだろうかと 

好奇心がそそられる程度には、興味深さが深まった

厳密にいえばそんなところです

漫画情報/実在の道具

 
楽園(ル パラディ)冬のウェブ増刊が今年も開始しており
12月10日分で描いた漫画が公開されています。
無料ですので見てみて下さい
 
行き方:下記URLを押す→WEB増刊へGOと書かれた箇所を押す(中段画面左)→12月10日のところを押す→漫画登場。
 http://www.hakusensha.co.jp/rakuen/
 
今回も春、夏にひきつづき「WEB増刊へGO」ボタンの
新規カットイラストを担当しております。
そちらも見てみてください 
 
 
 
  
 
以下雑記 
特殊な金具を外す必要があり、それ用の工具を買った
上の写真がそれだが、一目で心を奪われてしまった
こんな道具があるなんて 
 
輪っかになった留め具をつまんで着脱するための工具だが
その留め具はつまんで広げて着脱するものと、狭めて着脱する二通りが存在し
どちらにも対応できるような構造になっているのである
つまり片方は握ると広がり、片方は握ると狭まる。
 
なんでこんなに心を掴むのだろう、と考えた
一見して、ペンチが2つ合体したような奇妙な形状に見えるが
「開く」と「閉じる」、2種類の動作をひとつの握りアクションで叶えるという
ちょっと手品のような不思議さがあり
それを踏まえて見ると、あまりにもシンプルな構造でそれを叶えている
機能美と、説得力がある
 
夢の中でへんな理屈に納得して、
起きて冷静に考えたらそんなことはないと気付く、ということがあるが
この道具に関しては、へんな理屈で納得させられたような奇怪さがありながら
その奇怪さを保ったまま、ほんとうに合理性があるという 
 
今日はこの工具のおかげで、無事に金具を外すことができた。
そういう夢を見ているような気がしてくる

お知らせ2点

①毎年恒例、「楽園」年賀状プレゼント企画が開催されています。
抽選で絵入りの年賀状が届くというものです 
12月5日(金)12:00が締め切りとなっています
 
楽園年賀状の絵は2015年の未年から毎年担当させて頂いており 
今回の午年でちょうど1周分描いたことになり、感慨深いことです
運試しに何卒どしどしご応募ください
くわしくは↓
 
 
 
 
②先日開催された資料性博覧会18の会場にて販売された
「資料性18ふろしき」が通販開始となりました
ここ数年の資料性博覧会で定番みやげとなっているふろしき。今回はポスターの
販売がなかったとのことで、キービジュアルを大きく印刷したグッズとしては
唯一になるのかな。ぜひ入手して大風呂敷を広げてください
くわしくは↓ 

大関

幼稚園児の頃のことだが
親の運転する車に乗って親戚の家へ行く道中
いつも通った中原街道に「大関」の看板があった
 
ワンカップ酒とかを出している酒造メーカーであるが 
当時はそれが酒関係であることは知らず
なにか別の意味の看板だと勘違いしていた
 
ある時、あれは「おおぜき」と読む、お酒の看板だよと
教えられ、それまで持っていたイメージが覆って
「そうなんだ」と思った記憶があるのだが
 
 
それまで何の看板だと勘違いしていたのか、今はさっぱり思い出せない
白地に力強い筆文字で、漢字が2つ書いてある
それを見て、子供心に何かを連想したんだったと思うが
それまでのイメージが覆った、という手触りだけが残っている 
 
「大関」という単語を読み取れたわけではなかった筈だから
相撲関係の看板と勘違いした、という線は薄いように思う
しかしスポーツニュースの画面で表示される勘亭流の選手名を
目にしたことはあっただろうから、力強い書体の漢字の文字列として
混同する可能性はゼロではない
 
和風、昔風であるということは感じ取ったような気はする
時代劇のタイトルロゴに似たようなのがあったとしたら
もしかしたらごっちゃになったかもな
そっちのほうがありえそう
 
 
書いていて思い出した
大関の看板に差し掛かる少し手前に、これまた大関に少し似た感じの
漢字の看板があったんだった
しかし、「大関」のほうが「何か」のイメージにより近く
「似たような看板を通り過ぎると、本物の看板がすぐに見えてくる」と
いったような、車窓のリズムとして認識していた
楷書で漢字表記の居酒屋の看板とかだったのかな
こちらに関しては「あった」ということ以外はほとんど覚えてない
 
 
 
 
こんなとりとめもないような記憶が何かの拍子に頭に浮かんで 
しばらく脳内に滞留することがある
 
誰かと共有することのできない、個人的記憶の手触りを
誰でも読むことのできるインターネットの日記に書き出してみたって
まあ無意味ではあるのだが
脳内でしっとりしていたものをを天日干しするような
妙な爽快感はある 

あいち2025情報

国際芸術祭「あいち2025」の公式カタログが刊行されます
panpanyaの展示作品「何物」の
複製版小冊子が付録としてついてきます
会場で手に取って読めるように置いてあるものとほぼ同じものです
くわしくは 
 
 
 
「何物」は、瀬戸での取材と、その印象をもとにした漫画作品で
瀬戸の土地で使用され、年月を経た古紙を材料にして 
手製本した本のかたちで展示しています 

瀬戸を舞台にした架空の物語を、実際に瀬戸にあった紙で製本し
瀬戸の地で展示、町中にも絵がちりばめられているという
土地がテーマの漫画として、贅沢なものになっています
会期はあと半月ですが、よかったら瀬戸へ読みに行ってみてください

カマキリ

玄関先の外壁の低いところにオオカマキリがくっついていた
もうだいぶ弱っているようで、羽もよれよれで静かにしていた
ちょっと触るとゆっくり動いたので
冷たく乾いたコンクリートの上だと過ごし辛いだろうと思い
植物と土のある場所まで運んでやることにした 
 
掴むな、やめろ、という鎌の動きも弱々しい
負担のないよう、なるべく速やかに移動させ
土の上に置いたが気に入っただろうか
その場から特に動く様子は見られなかった
 
 
というのが昨日の話
今日玄関を出たとき、そういえば昨日のカマキリはどうしたかと 
当該箇所を見に行ったら、昨日の場所から10センチくらい先の植物に
手をかけて半分体を持ち上げたような状態で動かなくなっていた
 
つっついて確認すればもしかしてまだ動いたかもしれない
でも確認できなかった 

たまごてりやき/おおまさり

マクドナルドに行ってみたら
「焦がしにんにくマヨたまごてりやき」なる期間限定バーガーが出ていた
またたまごてりやきやってる…
 
「てりたま」が春の風物詩であることは周知の事実だが
近年、「てりやきバーガー」の亜種という名目で、たまごを挟んで
「たまごてりやき」と称し、事実上のてりたまを
季節問わず期間限定販売するという手法が常態化している
去年もやってたし、今年少なくとも2回は登場している
 
 
昔は、マクドナルドでたまごが食べられるのは
春と秋の限られた期間だけだったんだよ、なんて言ったら
今どきの若者には驚かれてしまうかね
などと時代に取り残された老人のようなことを思ってしまう
 
奇しくも昨今、夏が終わったら冬がやってくるような
春や秋をすっ飛ばすような気候になっていることも
あながち無関係ではないのではなかろうか
嘆かわしいことに、日本から四季が失われつつある
マクドナルドのような大企業にこそ、季節感を大切にして貰いたいものです。
老人のような戯言はこのくらいにしておこう
 
 
そういうわけで、焦がしにんにくマヨたまごてりやきを食べた
てりやきにマヨネーズは標準装備たれであるから
要するに通常のてりたまににんにくの風味を添加したものである 
結構しっかりとにんにくの香ばしさが乗っかっていて
こってりしたてりたまによく合う
 
マクドナルドで味わうにんにく風味に、個人的には不思議な違和感があった
マクドナルドでハンバーガーを食べているはずなのに
何らかの別な食べ物のイメージがフラッシュバックする
それがどこの何だったのかは思い出せないのだが
「マクドナルドじゃなさ」がちらつくのであった
にんにく風味というものが、こんなにもマクドナルドとかけ離れた印象を
持っていたのだということに自ら驚く、新たな知見だった

 
 

先日、ローカルな催しで「大落花生」なるものに出会った
「おおまさり」という、わりと最近品種改良で開発された落花生だといい
茹でられたものを食べたのだが
ほくほくした甘みは芋のようでもあり
落花生が土に埋まっている植物であることを再認識させられる
 
ピーナッツというと、ナッツの一種のような感じがするが
落花生は豆の一種である
豆とナッツの線引きは、いつも曖昧になってしまうが
落花生は豆の中でも珍しく土中にできるものであるから
芋との線引きもあやしいような気がしてくる
そう考えると様々な要素を兼ね備えた特殊な植物に思えてくる
 
柿ピーやキャラメルコーンで出会うときは
「ピーナッツはピーナッツである」というかんじで
その特殊さに目を向けることはほとんどないが
新種として大粒の落花生と向き合ったとき、 改めて気付く魅力である
 
 
というのが先月末頃のはなしだ
昨日、産直で農産物を物色していたら、そのおおまさりが売っていたので
これ幸いと一袋買ってきて茹でた
通常の落花生と違い、乾燥させずに生のものを茹でて食べるものだから
今時期にしか出回らない旬の味だという
痛みやすそうだから、大事に、かつ思い切りよく食べていこう 
 
たまごてりやきで失われた季節感を大落花生で取り戻す
食欲の秋というやつだ 

漫画情報/植物の冬支度

楽園(le paradis)49号が発売になりました
「浮かぶ城もあれ」という題の漫画を掲載して頂いております
ぜひ見てみて下さい。
お求めはお近くの書店かインターネット通販で

 
楽園(le paradis)ウェブサイト
https://www.hakusensha.co.jp/rakuen/vol49/

amazon通販ページ
http://www.amazon.co.jp
 
 
 
 
 
以下雑記
今年の5月に行った小笠原諸島で獲得した植物を
屋外の植木鉢で育成していたが
いよいよ気温が下がってきて、熱帯の植物を出しておくのは
気が引けるかんじになってきたので、屋内に取り込むことにした
 
 小笠原旅行とそこで得た植物に関しては、今年6月発行の「楽園 48号」及び
 夏のウェブ増刊に2篇、合計3篇で旅行に至る経緯とその顛末を含め
 紹介しているので、興味のある方は見てみてください。 
 
 
屋内で置いておける場所はかなり限られる
しかも日差しが比較的入る場所は暖房をつけている時間が限定的だったり
日常過ごす部屋は日差しがほとんど入らなかったり
暖房を切っている時間帯もある 
何れも寒空の下よりはましかと思うが決していい環境とは言えない 
 
以前も熱帯植物の冬越しに失敗して枯らしてしまった前科があるし
放って置くだけでは二の舞いになることは目に見えているが
遥か小笠原の地で縁があり、そこから半年。今や我が家の一員だ 
先の反省を教訓とし、 どうにか共に春を迎えたい。
しかも今回のは漫画でも取り上げた植物であるので
仕事の一環とも言えるものであり、つまるところ遊びではないのである。 
相応の対策を講じる必要がある

あれこれ調べた結果、日光に近い光を照射する植物用LEDランプと
鉢の下に置いて程よく熱を発する植物用電気マットのような製品が
あることがわかった
植物にそこまでの待遇…と思いつつも、部屋の片隅の小さな小笠原を
絶やすわけにはいかないという使命感と、植物を過剰に手厚く保全する
仕事としての義務感がだんだん面白く思えてきて
手頃なものをインターネットで注文し、設置したのだった
 
 
初心者目線だとえらく過保護な方法に見えるが 
初心者こそ知識やテクニックに左右されない科学の力に頼るべきなのだろう
詳しい人なら簡素な設備でもあれこれ工夫して乗り切れるのかもしれないけど。
あるいは観葉植物を嗜んでいる人にとってはもしかして常識的な設備なのだろうか  
わからないが、ひとまずのところ屋外と変わらず元気な様子で
萎びたりはしていないようです
 
あとは湿度に気を配り、霧吹きで葉に水をやったりするといいらしい
たいしたことだよ 
やれる範囲でやれることをやるしかない。
しかし旅のつづきが机の傍らで生きているのはちょっといいものだ
うまくいけばいいけど

ハメハメハ

出先で、ハメハメハ大王の歌がふと聞こえてきて
聴くでもなく耳を傾けていたら
 
風の全てが彼の歌
星の全てが彼の夢
 
という一節があり、はたと
そんな美しい歌詞だったかと改めて気がついた
 
幼児の頃から知っている馴染み深い歌ではあるが
ちょっと抽象的な表現だし、意味を掴み損ないつつも
平易な日本語ではあるから、歌詞としては覚えてしまった結果
今の今まで「幼い頃に暗記しただけのフレーズ」 であったのだ
 
たしかに思い返せば、ロマンチックな王様で とも言ってた気がするが
朝日のあとに起きてきて、夕日の前に寝てしまったりだとか
最後のほうでは、南の島に住む人は誰でもハメハメハ などといい
歌詞の断片的な記憶が、どこか怠けた感じかつ
最終的に煙に巻かれたような気分を歌全体に波及させていたようだ
そもそもハメハメハという響きからしてそんなかんじだし 
ロマンチックな王様で、という説明も、なんとなく
浮き世離れした人だったのかな?という印象に収束し
とぼけた曲調とともに、脳の隅に片付けてしまってあったらしい
 
 
風の全てが彼の歌
星の全てが彼の夢 
そう民衆に思わせるような力があればこそ、大王になったんだろう
偉大なハメハメハ大王の資質を讃える歌だったのだ
認識を改めなければならない 
歌に限らず、こういうのは他にもあるんだろうな

あと朝日の後に起きて夕日の前に寝るのは王の奥さんだった